「コインロッカーベイビーズ」(村上龍)の英語翻訳版 “Coin Locker Babies"より、クライマックスに近づくあたりのシーン。
キクとアネモネが小笠原の孤島からやってきた真夏のTokyoで、中古で購入したバイクに乗って高速道路を走るところ。すごくかっこよくて、かつ非常に重要なシーンなのだが、なんと英語版は以下赤字snipとしている箇所が抜けている!
Nothing ever changes, he thought. Everbodys’ still trying to break out of themselves, hoping for that new wind to blow through and shake their hearts awake. (snip) But for us, for all the babies who slept their first sleep in those muggy boxes, who head that sound, the only sound there was until the air first touched our skin – the sound of our mothers’ hearts–nothing ever changes. How could it? How could any of us forget – a sign that came to us in the dark, endlessly, ceaselessly, wiht just one message, over and over and over again? …
何一つ変わっていない、誰もが胸を切り開き新しい風を受けて自分の心臓の音を響かせたいと願っている、渋滞する高速道路をフルスロットルですり抜け疾走するバイクライダーのように生きたいのだ、俺は跳び続ける、ハシは歌い続けるだろう、夏の柔らかな箱で眠る赤ん坊、俺達はすべてあの音を聞いた、空気に触れるまで聴き続けたのは母親の心臓の鼓動だ。一瞬も休みなく送られてきたその信号を忘れてはならない。信号の意味はただ一つだ。
(snip)部分に相当するのは下原文の赤字箇所である。その後に続くセンテンスも、意味としては原文とほぼ同等だが若干表現が異なる。それは翻訳のスタイルだからいいとして、ここは削除しないで欲しかったなぁ、キクが「ハシは歌い続けるだろう」とつぶやくこの部分を知っているか知らないかで、この後に続くクライマックスの受け止め方が相当ブレる。(俺は、つまりキクはハシがTokyoで歌い続けることを確信した上で破壊物質のダチュラをばら撒いたという関係性を、原文を読んでやっと呑み込めた)
そして、端折られているのはここだけじゃない。英語版を読み終わってから原文のラスト十数ページだけ読んだところ、数ページ分まるごと抜けていた!ハシが病院のNevaを訪ねて、そこで拉致られるあたりの数ページが。どうりで、話の展開についていけなかったわけだよ。(小説後半はハシの妄想シーンが多く占めていたから、展開がわけがわからないのはそういうもんだと軽く流してた。)うーん、数ページ削除ってさすがに乱暴すぎないか。
全体通すと他にもカットシーンがあるんだろうな、映画をTVで放映する際にいくつかカットされたりする、あれと同じだ。いや、翻訳版はそういうのがあるってのは知っていたけど、冒頭の箇所はすごく重要なセンテンスだから端折らないで欲しかったな(2度目)、翻訳者の意向か編集側の意向か知らないけど。
…て、まぁこれについては若干モヤモヤ感があるものの、英語版の「コインロッカーベイビーズ」を読んですげぇよかったと思う、日本語の原文より刺さったからね、強烈に痺れる文章が何箇所かあった、英語で読むと日本語より集中するし、言葉が頭に入ってくる回路が違うから、日本語で読むのとは別の快楽・喜びがあるんだな。こんな時、長文読解鍛えておいてよかったとつくづく思う。
しかし実は出だしは鈍くてなかなか進まなくて、完読に3ヶ月くらいかかるんじゃないかと思ってた。去年12月中旬に読み始めて先週半ばに読了したけど、当初はまさか1ヶ月ちょいで読み終わるとは思っていなかった。最後の方はめっちゃスパートかけた、やればできるじゃん、俺。
野暮なことは語りたくないからゴチャゴチャ言わないけど、英語読解の復習も兼ねて今後もちょっとずつ引用していこうと思う。