昨年の過去ツイのスレッドでちょっと気になるのを見つけたので、若干手を入れてここにまとめて書いておく。

 


暴力の加害者に対して被害者が好意を抱く「ストックホルム症候群」と567脳、マスク厨の心理は似てないか?側から見ると、あの人たちは自由や人権を奪われている今の状況を愛しているように見える。

その裏では「認知的不協和の解消」が発生している可能性がある。これは、自分の内部の矛盾に一貫性を持たせようとする機能。「新しい生活様式」だの、自粛しろマスクつけろだの、不自由で不本意な状況を強いられているが、それを受け入れている自分に葛藤が生じているはずなのだ。

だからマナーだの何だの言って正当化している。または無意識に自分を麻痺させている。どちらにしても認知に修正を加えて不協和(矛盾)を解消しようとしているわけで、つまり認知に歪みが発生している。だから苦痛さえ感じなくなっているのではないかと想像する。

それから、「沖縄から貧困がなくならない本当の理由」(樋口耕太郎著)からの引用なのだが、こういった自己防衛の心理も働いているかとも。

人間は激しい痛みを感じると、自分の感覚を鈍らせて自己防衛を図る性質があるが、それは絶望の耐え難い痛みを和らげるために、自分自身に打つ麻酔のようなものだ。

 

自分に麻酔を打って思考や身体感覚を麻痺させたり、自ら認知を歪ませれば、見かけ上は苦痛が和らぐ。しかし同時に生きる上でのあらゆる喜びもまた、感じることができなくなる。そして本来あるべき自分の自由と権利を、忘却の彼方に押しやっている。それは虚構の世界を生きているだけなのだ。


 

車椅子バスケ

…と、まぁ当時はこんなことを思いつくままに呟いてみたが、大半の世間のコロナ恐怖脳はここまで複雑な心理の綾などなく、自分で調べたり考察することもなくひたすら垂れ流される情報を鵜呑みにして怖いね怖いねと決まり文句を言ってるだけのように見える、それが世間の掟だから。

もちろん、マスク・アルコール消毒・検温や在宅勤務を強制または半強制されることに疑問を抱くこともない。一切の疑問も抱かずに、受け入れているのだ。昼の外食時に周りから聞こえてくる会話を聞いていると呆れる、それなりに一流と呼ばれる企業に勤めていてある程度の地位についていそうな人たちが、そんな具合なのである。

まぁ何にせよ、認知の歪みが生じていることは確か、40度近い真夏日に病気でもないのにマスクとか異常でしかないよ。

 

それから「家庭内ストックホルム症候群」という言葉もある。児童虐待やDVを受けている被害者が、自分を虐待・無視などで苦しめる親や配偶者(多くの場合夫)に不満や憎しみを抱きつつも、見捨てられたらどうしようと、過剰な不安や恐怖心が芽生える。そこで無意識の内に親や配偶者が気に入られるように「良い子」「良い妻」を演じてしまう…ということらしい。

いやでもこれって別に、ストックホルム症候群という名称を持ち出すまでもなく、より普遍的な事象だと思うな、人間が暴力・抑圧・嫌がらせに対して自分の心を麻痺させて適応を試みる心理が働くのは、きっと人間のデフォルト機能なんだよ、悲しい機能だけど。

DVの他に大学内の教授と生徒の間に発生する「アカハラ」、職場のパワハラでも同様の状態になるよね、理不尽なハラスメントを受けているのに、それを客観視できない状態にあると、相手に気に入られようとして相手に従い、相手の意に沿うように行動してしまうんだ。

これには2つの要因がある、生き延びるための生存本能と、他者に愛されたい、承認されたいという、ヒトとしての社会的本能。しかしそれで相手がハラスメントを辞めるかと言ったら逆だ、「こいつはいじめれば何でも言うことをきく」と思われてエスカレートするだけだ、全く本質的な解決にはならず、状況が悪化するだけなんだよ。

 

車椅子バスケ

 

ここまでの文章は、今年2021年の1月に別のブログに投稿した内容を編集・加筆したものだ。そこに置いておいても塩漬けになるだけだからこっちに持ってきた。文章中に登場するツイは、とうにアカウント削除したので今は存在しない。「家庭内ストックホルム症候群」から先は今回追記したもの。主旨が途中からずれている気がするが、まぁ気にしない。

Twitterなんか最低のクソメディアだと思うが、ふと思いついて書いたことでも後でこうして振り返って考察することもあるから、そういう意味では少しはやる価値あったかな。

結局何が言いたいのかってね、多くの人間は、ハラスメントを受けている最中は、状況を客観視できないんだよ、かつ、生存本能と社会的本能のためにその状況に適応しようとして、自分を押し殺してハラスメントをする相手や周囲に従ったり、意に沿わない行動をとったりしがちなんだ。これは自覚しないといけないし、あらゆるハラスメントには声をあげ、全力で抵抗しなけりゃいけないんだ、それこそ、羊や奴隷ではなく、主権を持った人間として生きるために。

 

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過去記事にも書いたDylan Thomasの詩の一部。本来の詩の主旨は違うけど、今のこの世界に対して、全く同じことを言いたいね。

Do not go gentle into that good night,
Rage, rage against the dying of the light.

 

あぁまったく、俺はやっぱりこのまま死ぬわけにはいかねぇ、大人しく従ってちゃダメなんだ、激怒して、憤怒して、死にもの狂いで抵抗しなくちゃいけないんだ。